自分の経験談 1
2023/02/11
こんにちは! 40回目の投稿となります。
我が社有限会社精浜サービスは、横浜で大分類建設業、機械式立体駐車装置のメンテナンスを主事業としております。 このホームページを作った一番の目的は「求人活動、採用の活性化」です。
「この会社ってどんな会社?」という疑問が少しでも解消され、当社応募の門を叩く人が増えればと思っております。
この仕事に携わるようになって27年が経過しました。 自分は決して優秀な方ではなく、覚えも悪く、失敗も数多くしてきました、今回はその話を書かせてもらおうと思いますが、まずはその前に、現社入社前のことから触れさせていただこうと思います。
自分は昭和46年10月生まれです。 前後の同世代生まれは多く、自分の地元である横浜市の公立中学校は14~15クラスもあり、鉄筋の通常校舎では間に合わなく、プレハブ校舎が2棟も建っておりました。 冬は寒く夏はとても暑い、冬場はストーブを最大で焚いても入り口や廊下側は寒く、夏は扇風機が1台設置されているのみ。 エアコン設置という概念は、公立では無かったと思います。
特別な取柄もなく成績は中の下位、自分の行ける公立高校に特に何も考えずに進みました。 そこでもクラスは13クラスありましたが途中で辞めていった人もあり、卒業時には1クラス減り、女子クラスがひとつできておりました。 そのような意味でも、辞める人は男子の方が圧倒的に多かったと記憶しております。
さらにその先進路先、首都圏にある大学に入るということは同世代の多さと自分の成績ではかなり困難な状況でした。 そのようなことで先生の勧めでもある、当時の職業技術校のメカトロニクスコースに入学しました。 いわゆる職業訓練校なので同世代だけではなく、20代中頃くらいの人が雇用保険を貰いながら学ぶ制度を活用して入学していたりと、色々な人が同じクラスにおりました。
その中で、一度就職を経験している人の話を、クラスメイトから聞けることは大変参考になりました。 また、その学校は将来的には短期大学校になる予定で入学前年に作られていたので、授業の設備はとても良く、最新の工作機械やFA(ファクトリーオートメーション)設備を使った教材などに日常的に触れられたことは幸運であると思いました。
昭46年生まれの人は、ある意味では時代のめぐりあわせというものを、痛切に感じる世代であると思います。
その事は、次回への続きとさせていただきます。
ありがとうございます!